主語のない英語 You never know!
“You never know.” は、日常会話で、「どうなるかわからないよ」「ひょっとしたらね」という意味で使われます。
A: Maybe I’ll fall in love again. (また恋愛することもあるかな)
B: You never know. (あるかもよ〜。)
はっきり言い切らず、可能性を残しておく表現です。
この「可能性」で思い出すのが、先日の友人とのやりとり。
インドネシア語を話す彼と話していたとき、なんの話なのかわからなくなり、「主語はなんですか?」と聞きました。すると友人は、真顔で「主語なんか言わなくてもわかるでしょう」と言います。
私が「主語がないと、よくわからない」と主張すると、それを聞いていた別の友人が、「カノさんは英語話者だから、主語がいるんですね」と言われてハッと。
私は英語のレッスンでも、たびたび「主語はなんですか?」と生徒さんに聞きます。英語では主語をはっきり伝えることが多いので、日本語ではあいまいにできる言葉も明確にするクセがついていた。いつの間にか私の中で、主語をはっきりさせることが正義になっていたと思いました。
友人たちと、言葉にしなくても察し合うことや、言葉にしてはっきり伝えることについて話しました。その時は、互いの違いを笑い合ったのだけど、なんだか面白くて余韻が続いています。

あいまいさが持つ包容力。ことばにならない気持ちを察するって、答えがない。意味を取り違えたり、勝手な想像をしたりすることもある。それを含めて、こういう感じ、何と言うのかな。空気を読む?気持ちをくみ取る?行間を読む?そこには、ことばだけでは届かないものに耳を済ますような感覚があります。
英語は、西洋だけでなく、アジアやアフリカ、カリブ海の国々でも、その土地の文化とともに発展し、いろんな表情を見せてくれます。
そんな自由な言語感覚で、「察しながら」話す。ひょっとしたら未来には、主語がなくても気持ちが伝わる英語が、話されているかもしれない。You never know! (ひょっとしたらね)と思う秋の夕方でした。



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